「都民ファースト」で話題になっている小池百合子都知事が、関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺の追悼式典で、追悼文を送らないことにしたという。
都としては、都知事は都主催の慰霊行事で、全ての人々に哀悼の意を表しているので、個別の式典では、追悼文を送付しないと発表している。
だが、今年3月、都議会一般質問の中で自民党都議である古賀俊昭都議が、朝鮮人虐殺に関して、犠牲者数の根拠が不明瞭であると発言しており、この発言との関連も指摘されている。
私には好きな曲がある。それは3・11の時に知った『満月の夕』という曲だ。
元々は、阪神淡路大震災の時に、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さんとヒートニューウェイブの山口洋さんが作った曲で、震災に遭った、神戸の街の様子を歌っている。
3・11の時に、私はこの歌を聴きながら、テレビから流れている津波の映像を観ていたことを記憶している。
『満月の夕』には数パターンの歌詞が存在するが、中でも、神戸を地元にしている「ガガガSP」が歌っているバージョンには、こんな歌詞が入っている。
声のない叫びは煙となり
風に吹かれ空へと舞い上がる
言葉に一体何の意味がある
乾く冬の夕べ
私はこの歌詞がとても好きだ。
震災の時に感じた、無力さや虚しさのようなものが本当に現れていると思う。
それと同時に、私は、この歌詞を聴くと、関東大震災後の朝鮮人虐殺を思い浮かべる。
だけれども、この歌詞と違う点は、関東大震災後の朝鮮人虐殺の犠牲者たちは今でも、空へと舞い上がることが出来ず、地上で漂っていることだろうか。
名著である、野村進さんの『コリアン世界の旅』では、阪神淡路大震災を取り上げている。その中で、関東大震災後の朝鮮人虐殺を知っていた在日コリアンたちは、また、「あの時」と同じように、再び、朝鮮人が日本人に襲われるのではないかと不安になった。とあった。
関東大震災後の朝鮮人虐殺が起きたのは1923年の話で、阪神淡路大震災が起きたのは1995年の話だ。時代も違えば、現在では、有力な民族団体もある。だけれども、当事者にとって、関東大震災後の朝鮮人虐殺は終わらない話なのだ。
阪神淡路大震災から何年も経ち、2011年に、東日本大震災が起き、2016年には熊本地震も起きた。あれから、また時は流れたが、関東大震災後の朝鮮人虐殺の不安だけは確実に大きくなっている。
ネットを観ていると、ヘイト発言ばっかりだ。在日コリアンを一方的に誹謗中傷する発言もあれば、中には「死ね。」という発言まで存在する。そして、何より不安を増大させたのは、2013年に起きたヘイトスピーカーたちによるデモだった。あのデモによって、多くの人たちが在日コリアンへの憎悪を表に出すことをためらわなくなってしまった。
「あの震災をきっかけに大きく変わった。」という紋切り型の言葉がたくさん語られるが、その言葉は在日コリアンである私にとって、命の危険として実感している。
もし、今、東京で直下型の地震が起きたとしたら、どうなってしまうだろう。
私は震災が原因で死ぬことよりも、ヘイトスピーカーと偏見に固められた「善意」によるデマ情報によって、死んでしまうのではないかと不安になっている。
だから、私は最近、あらゆる人にこんなことを頼むようになっていた。
「震災があったら、守って下さいね。宜しくお願い致します。」と。
そんな状況にも目を向けず、小池百合子東京都知事は一体何をしているのだろうか?朝鮮人虐殺の追悼会に追悼文を送るとは、震災の時でも、マイノリティーの安全を守るという意思表示ではないのか?
今、アメリカでは白人至上主義者とそうではない人々との対立が続いているが、トランプ以外のアメリカの地方の政治家たちはマイノリティーの保護を主張した。
それこそ、公職者の仕事だ。
東京とはどんな街だろう?色々なイメージが浮かぶかもしれないが、実は、私にとって、東京とは「差別の街」なのだ。それは様々なマイノリティーがひしめき合って生活しており、その生活の中で差別的な出来事は数えきれないくらい発生する。
東京の中では、居住する空間も、差別されている人たちとそうではない人たちで、はっきりと分かれていたことを知っていた人たちも、もう少なくなっているかもしれない。
東京がそんな「差別の街」だからこそ、新しい文化を生み出してきた人たちも沢山、出てきたし、差別がある故に、朝鮮人虐殺のような悲しい歴史にも向き合ってきた。
だけれども、今、小池都知事は、そんな「差別の街」東京を小奇麗にして、「差別」を忘れ去ろうとしている。