今、震災と向き合う

   2011年3月11日、私は10日前に亡くなった祖母のことを想いながら、これから始まる大学生活の準備をしなければいけない時だった。そんな時に全てをひっくり返すような大地震がやってきた。

   正直、3・11のことについては断片的にしか記憶が無い。被災地から遠く離れた私が住んでいる場所でも酷い揺れがあったこと、両親と共に灯油や米、水を買いに行ったこと、テレビ画面の向こうで津波が無常にも人や建物を呑み込み、背広を着ていた大人たちが作業着に着替え、不眠不休で対応にあたっていたこと、パソコン画面の向こうではこれでもかというくらいに様々な情報が津波のように流れていたこと…。

こんな記憶の断片を今の私は震災の記憶として話をする。

   あの震災から6年経った今、あの時を思い出すと、私を含めた皆が常軌を逸していたことだけは言えると思う。体験したことのない大災害の前で、様々な人がもがき、訳の分からない状況になってしまっていた。それだけは私が語り継いでいく人間として未来に言える唯一のことだと思う。

   あの大きな震災から6年が経ち、あの時、大学入学の準備をしていた私は社会人になってしまった。時の流れを感じるのと同時に、次第に震災から遠くなっていることを感じる。震災以降、様々なことが日本や世界で起きたが、震災直後に比べて、震災を語る場面が圧倒的に少なくなってしまった。

   その代わりに震災を語ると「東北」だけが当事者であるかのように語られるようになった。今では、震災の話となると東北地方で震災の被害にあった当事者たちの今を追った記事や番組が作られ、震災からしばらくして作られた応援ソングが流される。

   あの時、東北地方から遠く離れた土地に住んでいた人々の常軌を逸してしまった状況には目も向けず、震災を東北に押し付けてしまっているかのようだ。

   もしかしたら、震災の当事者を東北に限定するのは、あの時期の常軌を逸した瞬間を私たちが忘れたいだけかもしれない。でも、あの瞬間を無かったことにしないことが今、できることだ。

   今、やることは東北に想いを向けると同時に、常軌を逸してしまった瞬間をもう一度振り返り、その瞬間を「当事者」として語っていくことだ。甚大な被害を受けた人々は未だに甚大な被害の前でぐるぐる回っている。しかし、私たちは違う。あの瞬間を震災で甚大な被害を受けた当事者としてではなくて、また別の視点で見ていたからだ。

その視点を今こそ、語り継ぎ、考えるべき時だ。

 「この国には抵抗の文化が無い」とノーベル文学賞を受賞した私の尊敬するスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏が言った。まさにその通りだ。この国に抵抗の文化は無い。あったのは無かったことにし、痛みを誰かの押し付けることだけだ。そんなことはもう許されない。私たちの問題なのだから、私たちの言葉で語り、私たちの言葉で抵抗しよう。それがあの時を語ることだ。

 あの震災以降、常軌を逸した日本だけが続いている。そんな常軌を逸した日本を変えられるのはそんな小さな行動からだと私は信じている。

死者を生かす言葉

 3月1日。この日は1919年3月1日に発生した3・1独立運動を記念して、韓国では様々な行事が行われ、98年前にどのようなことがあったのかをじっくりと向き合う日となっている。

 そして、3月1日は私の母方の祖母が亡くなった日でもある。祖母は1960年代に日本に来るまで、日本の植民地支配、朝鮮戦争、李承晩政権による独裁、4・19学生革命、5・18軍事クーデターまで韓国の歴史をずっと体験してきた人だった。

 祖母がまだ生きていた頃、私は祖母から様々な昔話を聴いて育った。どの話も普通の韓国史の本にはない血が通った昔話で、私が韓国史の話をする際には、祖母から伝え聴いた話をする場合が多い。韓国史の概要を知りたいのであれば韓国史の本を読めば良いが、そんな本にすら載っていない話をすることによって、歴史が持っていた熱風を感じて欲しいからだ。

 韓国が植民地だった頃を体験している人は確実に少なくなっている。植民地だった頃を体験していて、日本語も上手だった世代はもう90代になるだろうか?

 かつて、日本では、韓国へ行っても日本語でコミュニケーションが取れてしまうと言われていたが、そのような時代はとっくに過ぎ去ってしまい、今の韓国の人々はほとんどが、大韓民国建国以降の生まれになっている。それは日本語が通じる世代が居なくなったのと同時に、私たちが歴史として学んだ出来事を血の通った出来事として知っている人たちが徐々に居なくなりつつあるということでもある。

  当事者ではない私たちは、当事者たちにとって血の通った出来事をどこかで学んだ大きな物語の「歴史」として学ぶ機会が多くなってしまい、私たちが学んだ「歴史」という大きな物語の中で、何人もの小さな尊い物語があったことを忘れがちになる。

 私は「死」という概念に2つの段階が存在すると思っている。

1つ目の段階は肉体としての死、2つ目の段階は人々の記憶から忘却されてしまうことだ。

肉体としての死を迎えてしまうのは人間が生き物である限り、しょうがないことだと思っている。

だが、忘却という死には何とかして抗っていきたい。

   私たちの世界には言葉があって、その言葉を通して、どういった人生があったのか?といったことを未来に語り継ぐことを私は知っているからだ。

 私が家族の話をすると、アイデンティティーで悩んでいるのではないかと思われることがある。だが、私がしたいことは、そんな歴史の狭間で命を落とした人々の記憶を伝えていきたいということだけだ。

   私の祖母は日本の植民地時代に亡くなった人や朝鮮戦争で亡くなった人々など様々な人々の顔を思い浮かべながら、小さかった私に昔話をしていたと思う。

   そして、今。私はあの時、昔話をしていた祖母の顔を思い浮かべながら祖母から伝え聴いた話をしている。

 こうやって、私がこのブログで書くことも、私にとって、とても大事な語り継ぎだ。私は歴史の狭間で消えていった人々や亡くなった祖母をネットの世界で伝えることによって、会ったことのない人の中にも彼・彼女たちを生かしたいと思いながら、キーボードを打っている。

 それこそが言葉の可能性だと私は信じている。

帝国の落とし子である私から北田氏への応答-戦後民主主義では応答されない人々

   上野千鶴子氏の毎日新聞におけるインタビュー記事が話題になった。この記事の中で上野氏は多文化主義を否定し、日本国に住む人々の生活レベルの低下まで望むような発言をした。

   移住連をはじめとしたリベラルな知識人たちは上野氏に質問状を送り、上野氏はブログ上でこの質問状へ回答した。この回答に対し、さらに北田氏はシノドス上で応答する。

   北田氏は「見事」に上野氏に応答したと言われている。確かに私もこの応答は的確かつ見事なものであると思う。だが、私は北田氏の「見事」な応答に対して、何か違和感を感じた。この違和感とは一体何だろう。 

 民主主義とは3つのルールで構成されている。1つ目のルールは共同体の問題に対して、同じ声の大きさでそれぞれの立場から声を発し、議論を深めていくということ、2つ目のルールは意思決定をする手法は多数決で行うこと、最後のルールは多数決によって、少数者の諸権利を壊してはいけないということだ。

   私たちはこのルールを日本国内では一般的にかつての戦前の体制とその体制を起因とした大戦の反省から「戦後民主主義」と呼び、そのルールの中で社会を運営している。

 上野氏はまさにこの戦後民主主義のルールによって生かされている存在である。かつて、日本は女性参政権を認めていなかったが、日本国憲法の公布によって女性参政権が認められ、戦後、女性の社会進出が進み、1970年代には田中美津氏を筆頭としたウーマン・リブ運動が起こるまでに至った。上野氏もこの文脈の中で存在する論客として考えられている。

 一見、戦後民主主義そのものは上野氏が思い込んでいるように、あらゆる人に対し、発言権を与えているように見える。しかし、戦後民主主義には問題点が存在する。それは戦後民主主義体制の中において、声を発する存在は所謂、日本民族としての「日本人」にのみ想定されており、帝国の落とし子であった在日コリアンや当時、アメリカの軍政下にあった沖縄、また戦後民主主義体制の中においても「旧土人」として法律内で規定されたアイヌなどは含まれないということである。さらに、セクシャル・マイノリティーもまた、日本国憲法内において「両性の合意」という文言に雁字搦めにされ、結婚できる権利を行使できない状況にある。

  在日コリアンの歴史に注目すれば、戦後民主主義体制の中で発言する主体が「日本人のみ」であったことはすぐに理解できる。戦後民主主義の象徴として言われている学校教育法や公職選挙法の制定は裏を返せば、かつて大日本帝国臣民であった在日コリアンの教育の権利や参政権を見事に奪う法律を制定してしまったことになる。

   このようにして戦後民主主義の発言の主体を「日本人」に限定した問題はヘイトスピーチや沖縄の基地問題として今なお存在し続けている。

 この戦後民主主義における主語の問題を北田氏は指摘することなく、むしろ、上野氏の文脈に乗った形で、上野氏にのみ応答してしまった。これでは上野氏と同じ構造の中で語っているのと何も変わらない。

   このような上野氏と北田氏の議論は戦後民主主義の中で声を持たないものと規定された人々にとっては「高等な議論」としてしか消費されない。本来であれば、北田氏は戦後民主主義の中で声を持たない者に対しても、応答するべきだった。

   私の違和感はこの戦後民主主義の持つ欠陥を指摘しなければいけない議論がただの上野氏vsそれ以外のリベラル知識人という枠組みで終わってしまったことにあった。

カメラ・日常・権力

  小森はるか監督の「息の跡」という映画を観に行った。この映画は佐藤貞一さんという「佐藤たね店」という種苗店の主人に3年間密着したドキュメンタリーだ。どこにでも居そうなおじさんが震災を経験し、その経験を日本語ではない他の言語で語ることによって、震災の記憶を残していく日常を収めた、極めて牧歌的だが、どこか強烈な映画になっている。

 この映画を観ていると、ある特徴に気づく。

 それは小森監督は劇中にて、佐藤さんの問いかけに対して「はい。」と言うか、少し訛りの入った言葉で応答するか、黙ってしまうかという3パターンの言葉遣いをしていることだ。たまに、佐藤さんの言っていることが分からないけれども、監督が「はい。」と言ってしまっているような所もあるのではないかと思ったシーンもあった。

 被写体になっている当事者は自分自身を映し出している人間の言語を常に見ている。余りにも素っ気無い態度であれば、言葉を引っ込めるし、身体表現をすることも無い。自分自身が言葉にならない世界と言葉をルールとしている世界の中を行ったり来たりしている中で、紡ぎ出した言葉やしぐさを監督が「分からない」と言って、切り捨ててしまうと思えば、被写体になることそのものを拒否してしまう。だが、この映画ではそういったシーンは見受けられなかった。きっと、「はい。」を赦したのは、佐藤さんの年輪が監督を包み込んだことであり、何より監督は佐藤さんの言葉を分からないふりをしながらも、それを拾っていった。

 だが、それでも私はこの「息の跡」に隠されている事実を明らかにしなければいけない。この世の中には余りにもカメラが溢れているからだ。

 ドキュメンタリー映画はヨーロッパの帝国主義と資本主義勃興の動きの中で発達した。そして、このドキュメンタリーという手法は植民地に入り、帝国が「近代」を示す、「近代の申し子」としての機能を担うことになった。だが、その「近代の申し子」は第二次世界大戦後、民主主義の時代になっていくにつれて「被写体の顔を撮影者と対等な関係で映し出していく」ものへと変化した。

 こういったドキュメンタリーの歴史と現状を書いたのは、 資本主義の発達とそれに伴うテクノロジーの発展でカメラを持つことが当たり前になってしまい、カメラを持つ権力性を忘れてしまうからだ。

 カメラで何かを映し出すことによる権力を、妖精のような小森監督は静かに行使していた。それは妖精であり続けるが故に佐藤さんを撮ることが出来たのだが、妖精であることは被写体とは対等ではない。被写体を曝け出させてしまう代わりに、妖精である自分自身をとてつもなく高い位置へと引き上げて、知らぬ間に権力を行使してしまうのである。そこにあるのは言葉にならない世界と言葉をルールとしている世界を行ったり来たりしている人をカメラの向こう側のものとして捉え、何か言葉を発しようとして発することができない人たちにとっては、自分を暴露されてしまうかもしれないという恐怖の中に置いてしまう。それは息を潜めているからこそ日常を維持している被写体の生活を毀してしまう可能性すら持っている。

 原一男監督の手法論は真逆の手法論だ。自分自身を晒し、相手とぶつかり合い、相手から言葉を拾う。その姿は一見、格闘しているように見えるのだが、あえて、カメラの前で葛藤を映し出すことによって、生身のHidden Agendaを明らかにしていく。人間関係の中でシビアな等価交換を行い、対等な存在として被写体と向き合おうとしている行為そのものだ。だが、それは文字通り、「格闘」になってしまうので、被写体は強靭でなければカメラの前で言葉の外の世界に飛び立ってしまう。

 ただでさえ、人と向き合うのは難しいのにカメラという装置を用いると、さらに難しくなってしまう。そんな難しさこそがドキュメンタリーの魅力だと思う。

 主人公の佐藤貞一さんは公開初日に劇場に来なかった。その理由はそんなカメラを持つ権力と対峙するためであったかもしれない。言葉の世界を喪い、未だに彷徨う人間にとって、そうすることこそが私たち観客に何かとてつもない世界を表現した。そして、そのような撮る立場と撮られる立場の関係は決して他人事ではない。テクノロジーの進化によってカメラが蔓延するようになり、膨大な情報の海の中に映像を投げ込めるようになった今、私たちはもう一度、カメラの持つ権力性を注視する必要があるのだ。

独裁者の血から見えるもの

   金正日氏の長男である金正男氏が暗殺された。この暗殺は異母弟である金正恩朝鮮労働党委員長が命じたのではないかと言われている。このショッキングなニュースをパソコンの前の私たちはいつの間にか、国号で「民主主義」と名乗りながら前近代的な政治を行っている北朝鮮のお家騒動として観ている。韓国国内でもかつて李氏朝鮮時代初期に王位継承争いとして行われた『王子の乱』を想起させながら報じている。日本も韓国も北朝鮮の報道となると前近代的な国家の動乱として観てしまうようだ。 

 朝鮮日報のとある記事でこのショッキングな事件をとある視点から語っていく記事が掲載されていた。それは「血統」という視点だ。その記事によれば北朝鮮では「二等市民」とされている在日朝鮮人の帰国者が母親である金正恩氏が長男の金正男氏に対して劣等感を抱いていたという。確かに今でも金正恩氏は自分の母親については詳しく明かしておらず、さらに金正恩氏は「白頭の血統」を掲げて政権の正統性を主張している。

 「在日」が祖国に足を踏み入れるとき、様々なことを要求される。韓国語の上達が代表的だが、場合によっては同じ民族であることを理由としたパートナーとの結婚まで、韓国人ないしは朝鮮人としての血の濃さを求められる。また、韓国の中には「在日」の蔑称として「パンチョッパリ」といった言葉も存在する。その言葉の意味とは「半日本人」という意味だ。

   だが、日本の地に帰ったしても終戦から72年経った今なお、植民地の人間として扱われ、帰化する手段以外で市民権を手に入れることが極めて困難だ。そして、巷に出ればありもしない単一民族思想を持った人々によるヘイトスピーチに身を晒される。

   この現実を見た瞬間、自らを民族共同体の中に身を置く道か、それとも拒絶された祖国を捨てて、日本の市民権を得るために帰化し、祖国の実態を自ら「明かしていく」日本の名誉市民として生きていく道を選択することになる。

 帝国の落し子である「在日」はこの3つの国家の中で常に二級市民として扱われ、その存在は極めて政治的なものとして利用されてきた。時に民族としての不完璧な面を出すことによって「このようなパンチョッパリ/韓国人/朝鮮人になってはいけない」とし、また、共同体を代表する存在としての面を出すことによって「このような韓国人/朝鮮人/日本人になるべきだ」という日本・韓国・北朝鮮のディスプレーとしての利用だ。そして、この行為は全て血統主義の名の下に行われている。

    血統主義前近代的に見えて、実は極めて近代的なものだ。ドイツで「国民」を創生する過程で生まれた血統主義は近代化を通して日本に入り、さらに植民地を通じて韓国と北朝鮮に入ってきた。国民を定義するだけの意味でしかなかった血統主義を日・韓・朝の人々は頑なに信仰している。その信仰のせいか、日本も韓国も北朝鮮でも不思議なことに、血統によって政治的影響力が決まってしまう。仮に日本と韓国と北朝鮮を分けるものと言えば、お金があるのか?という対立軸と党に対しての忠誠を誓うか?ということかもしれない。

 「二級市民」であるとされている「在日」を見せることによって、日本も韓国も北朝鮮もあるべき国民を創り出している。そして、皮肉なことにそんな「在日」こそがモデル・マイノリティーとして機能して、こういった事実は一切、語られないままになっている。

   金正恩氏の行為そのものが仮にそういった共同体への帰属意識を用いて、自らの正統性を示す行為だったとしたら・・・・・・・。彼はどのような気持ちで北朝鮮のリーダーとして君臨しているのだろうか?

   私は金正恩氏が行った行為を正統化するわけではない。むしろ、この事件の中で隠されている問題とは一体何だろうと考えてみると日本と韓国と北朝鮮の中で共通している共同体の問題が浮かび上がってくる。

   この隠されている問題は一体、何を語りかけるのだろう。

「本場」を超えて

 まずは私の文章を読む前にこの記事を読んで欲しい。

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  蕎麦屋でカレーを頼むと異端児のように見られてしまうのだがそんなことはない。蕎麦屋のカレーの素晴らしいことよ。スパイシーなインドカレーやちょっと上品な欧風カレーとは違って、とても馴染みがあり、私の舌を安心させてくれる。私はどうやら美食家ではないようだ。どちらかと言えば、高級食材をふんだんに使った料理よりも私の舌が安心する料理の方が好きだ。例えば、駅のホームにある立ち食い蕎麦屋のから揚げ蕎麦。何の変哲もない味だし、一見どこででも食べられるかもしれないが、私はこれが大好きだ。あの濃いそばつゆに少しだけ脂っこいから揚げがあるのがたまらない。あんまり食べ過ぎると体重が大変なことになるので、どうしても食べたくなる時だけ食べるのだが、そんなから揚げ蕎麦を凌駕するぐらい私の舌を安心させる料理が我が家には存在する。

 私の父方の家は焼肉屋を経営していた。私が小学生の時まで祖母が店をやっていたことを憶えている。父の家に財産は無かったが、祖母から焼き肉のタレという財産だけは継承した。そのタレをさらに父と母は新しく改良し、我が家の焼き肉のタレが完成した。友人に何か持っていくときはこの焼き肉のタレをプレゼントしている。

 このタレは私が言うのも変な話だが非の打ち所がない。だが、たった1つだけ欠点が存在する。それはこのタレは高い肉だとその威力を発揮しない。少し安めの肉や今や高級肉になってしまったホルモンでなければあの美味しさは出てこないのだ。

 私は釜山に留学していたことがあり、釜山でこの味を求めていたがなかなか見つからない。いくら韓国料理でも、やはり在日の料理である「焼肉」と韓国の料理である「プルコギ」には大きな差があったことを実感した。その代わり、私の舌が安心する料理をいくつか見つけた。そのひとつが「チャンポン」だ。このチャンポンだがいわゆる長崎ちゃんぽんとは違う。辛い魚介だしのスープと手打ちの麺、そして、アサリや海老、野菜などの具がたくさん乗っている麺料理だ。長崎ちゃんぽんに慣れ親しんでいる人は最初、びっくりするかもしれないがとてもハマってしまう料理になるだろう。

 韓国には所謂、韓国式中華料理と呼ばれる韓国にしかない中華料理が存在する。「チャンポン」はその代表格の料理で、韓国名物である「配達」でよく食べられている。私も留学していた頃に、このチャンポンとチャーハン(韓国では「ポックンパブ」と呼ばれている)のセットをよく食べていた。韓国語も出来ない私にとってはそんな料理を食べて、韓国の土地を身体で感じることで精一杯だった。そんな味がとても懐かしく、今ではその味が故郷のように思える。

 菅野氏が書いた『おっさん画報 茅場町長寿庵カレー丼』の最後はこんな言葉で締めくくられていた。

「そこに人間の営みがある限り、そして人間の営みがその土地によって変わる限り、食べ物だってなんだって、その土地土地のすごい人たちによってすごい変貌をとげるのだ。日本すごいと偉そうがってる場合ではない。どんな人だってどんな文化だって、みんな、すごいんだよ。」

   よくある在日の悩みの中に「私は何人として生きていくか」という話がある。そんな話にハマって、アイデンティティー・クライシスに陥ってしまったり、自分を共同体に引き込ませることによって、自分自身を「純化」させたりしている。でも、そんな行為はカレー丼や焼き肉のタレ、チャンポンの前ではとても失礼になってしまうかもしれない。それぞれの料理は純化するのではなくて、それぞれの土地に良いものと結びつきながら、自ら味を作り上げている。

   私が尊敬してやまないエドワード・サイードはインタビューでこんなことを語っていた。

「民族共同体に帰属するという考え方をもてあそぶ時間は、私にはほとんどない。そんな考え方を抱くことが、さほど面白いこととも思えない。それに知的に高めてくれるわけでもないし。どうせがっかりするにきまている。むしろかなり不毛なことだ。いきおいフィリエーションよりもアフィリエーションの自発性のほうが、わたしは好きだな。友情関係、知的、精神的つながりをもつことのほうが、自分の特定のアイデンティティから派生してくるものよりも、わたしにとってはるかに貴重だよ。」

『サイード自身が語るサイード」より

 サイードのこの言葉はカレー丼や我が家の焼き肉のタレ、そして、チャンポンの味と同じぐらい私を安心させてくれる素晴らしい言葉だ。

 それぞれの食べ物の中には人の営みのダイナミズムと文化の美しさを感じることができる。それぞれの文化を超えて、安心するものを食べたいと願う人間の英知が隠されているからだ。そんなことを考えると「本場」ではなくて、食という美しい命の輝きだけが食べ物にはある。それは食だけではない。食を創り出した人間たちもそうだ。古来から、民族やそういったものを超えたアフィリエーションで人間は生きてきた。

そんなアフィリエーションにこそ、私は命の輝きを感じる。

護憲と独立

 先日、南スーダンPKOとして派遣されていた自衛隊の日報が公開された。この日報とその後の稲田朋美防衛大臣の答弁が問題になっている。今回、公開された日報は以前、破棄されたとして未公開になっていたものだったが、何故か破棄されることなく存在していた。しかも、その公開された日報を読む限り、日本政府がPKO5原則を無視して、南スーダン自衛隊を送っていたことも明らかになった。野党はこの件について追及したが、稲田大臣は『「戦闘」という言葉を使うと憲法9条に違反する』というとんでもない答弁を行い、野党の怒りを買った。本来であれば憲法違反が無いように行政を行うべきであるはずなのに、憲法違反を正当化している状況になっている。

 そもそも稲田大臣は有名な憲法改正派の論客だ。安倍首相とも思想的な距離は近いとされている。改憲派の中には様々存在するが、稲田大臣を始めとする保守派の議員たちは日本国憲法GHQによって押し付けられたものであり、憲法9条そのものが日本国から自衛権を奪い、日本国の独立を侵害しているという立場に立っている。果たしてこのような立場は正しいのだろうか?

 日本国憲法GHQが日本政府の代わりに原案を作ったことは良く知られている。だが、この原案と現在の日本国憲法を比較してみると様々な修正が加えられていることが分かる。例えば、国会の構成だ。GHQ原案では300人から500人で構成する一院制となっているが、当時、憲法改正を担当していた松本烝治国務大臣から両院制を要請され、結果的に、両院制を採用することになった。実は憲法9条にも芦田修正と言われる修正が行われている。GHQ案の憲法9条では日本に自衛権が認められないという懸念が広がり、帝国議会憲法改正小委員会の委員長であった芦田均が修正を行ったことから、芦田修正と呼ばれるようになった。彼らの主張はこの段階を完全に無視してしまっている。

 さらにそれだけではない。憲法9条がどのような条項であるかということについても見事に無視している。憲法9条が存在することによって、日本国がどこかの国が主導となって行っている戦争の参加を求められた際に、憲法9条を理由に戦争への参加を拒否できる。日本国内の平和主義を保つことができるのと同時に、日本国としての独立を内外に示すことができるのだ。これに対して、国際貢献ができていないという批判もあるが、国際貢献は戦争をする形では無い方法で示すことができる。憲法9条を守るということは日本国の独立を守るということでもあるはずだ。

 私自身の立場は日本国憲法を改正するべきであるという立場だ。それは日本国憲法改正の限界の明記をはじめ、外国人参政権の明記、同性婚の合法化などの人権条項の強化や解散権の制限、建設的不信任制度の導入、参議院改革、憲法裁判所の新設など、統治機構の改革などが必要であると思っている。しかし、今回のように憲法を改正する側が憲法を破壊するような改憲を企図しているのであれば、それは断固として反対しなくてはいけない。私が何よりも恐れていることは権力の制限法である憲法を破壊されることとだ。

 実は、稲田大臣は自民党政調会長時代に憲法9条第2項は空洞化していると発言したことがある。一番問題なのは憲法9条第2項を空洞化させている人間たちは一体誰なのかということについては一切触れていない。まさに自分たちの憲法をないがしろにしている行為を憲法のせいにしているとしか言いようがないだろう。それだけではない。数年前、安倍首相は自国の国会よりも先に他国の国会で自国の安全保障政策に関する重大な変更を行うと正々堂々と発表した。果たしてそんなことが許されるのか?

 保守を自称する人々が憲法を破壊し、また日本の独立を破壊するような行為を行っているとは一体どういうことなのだろう。