歴史と記憶と経験と

 日本政府が駐韓大使を一時帰国させた。2015年に締結した慰安婦問題に関しての日韓合意を守らないことが理由だった。日韓合意によって韓国の市民団体が設置した慰安婦像を撤去する話が持ち上がっていたが、釜山の日本総領事館の前に新しく慰安婦像が設置されたことが日本政府を怒らせ、合意の不履行を理由に駐韓大使を帰国させた。また日韓の間で取り交わされていた様々な交渉を打ち切った。慰安婦問題に関しての報道を見ていると私はあることを思い出す。それは私が未だに考え続けるのを止められないある出来事があったからだ。

 私は母からこんな話を良く聴いていた。母がまだ幼い時の頃、母は祖母と一緒に良く韓国に帰っていた。その際に宿泊するホテルには必ずお金持ちの日本人にすり寄るコールガールが居たそうだ。その光景を見て幼かった母は嫌悪感を持った。それは「女性としてそのようなことをして良いのか?」という感情と「韓国人としてのプライドは無いのだろうか?」という感情だった。母はこの話をすると毎回「こんな時に毎回、私は女性や韓国人としてのプライドを感じていたよね」と言って話を終える。そんな母の言葉にリアリティーを感じられなかった。ただ、セックスワーカーへの偏見があると思っただけだ。

 大学4年生になって、私は釜山に留学をした。留学してからしばらくして、私はある日本人のおじさんたちと飲む機会が訪れた。その宴会では大分盛り上がり、楽しかったのを憶えている。良い気持ちになった時にそのおじさんたちをホテルまで送った時、おじさんが「女を呼びたいんだけど、どう呼べば良いの?」と私に言ってきた。この言葉を聴いたときに言いようのない怒りが私の中で出てきた。今まで感じたことがない「韓国人」としての怒りだ。その場では黙っていたが、この件は釜山留学中、私が考える課題になった。

 そんな体験を私は日本に帰ってきてから、色々なところで話していた。それは余りにも酷い目の前で起きている現実を伝えたかったからだ。しかし、あるとき、私の後輩にこんなことを言われた。「先輩は民族的なことで怒っていたんですか?それとも女の人がそうなっていて怒っていたんですか?」

 私はこの質問の前で思わず黙ってしまった。その当時はそんな事実に民族主義的な観点から私は怒っていた。女性の人権よりもそんな国家や民族という視点になりやすい。そんな視点になってしまうのもなんだか変な話だ。本来は女性の話として議論されなくてはいけない。なのに何故、私はそんな視点になってしまったのだろう?母がコールガールを嫌がっていたのは何故なのか?私がなぜそのおじさんたちを嫌になったのか?なぜ、怒りを持ったのか?そんなことを私は今、このブログを書きながら問いている。

   実際に2015年に締結された日韓合意は国家間の問題として慰安婦問題が語られ、「解決」されてしまった。あの合意は日韓両政府に責任があると思う。国家間の問題になればなるほど、私は慰安婦問題が遠くのものになってしまうと危惧している。本来、慰安婦問題は帝国によって行われた女性への人権侵害だ。それは彼女たちの自由意思に基づいて行われたことでないことは明白であり、強制された空間で行われた戦争犯罪である。そして、この問題は今でも続いている問題なのだ。

   このように国家間の問題として、向こう側の話として語られることに何か違和感を感じる。女性の尊厳は国家や民族を通してなければ主張できないのだろうか?

声なき声はどこへ行ってしまったのだろう。

ブログを始めてから

 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 1月1日は午前中に礼拝へ行き、新年の方針を立て、午後はお世話になっている方々への年賀メッセージを書きながら、伯父の家に行き、伯父の昔話に耳を傾けていました。正月は過去と現在と未来の3つの時制の前で言葉にならない言葉と過ごす豊かな時間になりました。本当にこんな時間が1年の中であることは重要なことです。そういうわけで1月1日に記事を掲載しようと思いましたが、1日ばかし遅れてしまいました。書くという時間とは違って、3つの時間の中から生み出される言葉の海に浸かっていようと思ったからです。

  今日はこのブログが開設されたきっかけについて書きたいと思います。

私はもともと、このブログを書く前にFacebookに長文を書いていました。日常の中でやりきれないなと思ったことやこの世の中の動きが酷くなっていく怒りを書いていたんですね。まだ当時はブログをやるなんていうことは一切考えもしていませんでした。

ある日、私はある用事で友人に会った時、友人から「ブログを始めてみなよ」と言われたんです。私のFacebookの記事をずっと読んでくれて、せっかくだから様々な人に読んで欲しいと思ったそうです。Facebookのみで文章を公開するよりも、様々な人に読んで欲しいと思っていた時期でしたし、働き始めて考える空間が欲しいと思い始めてもいたので、このブログを書くことになりました。

 最初ブログを書くにあたっては良く分からないまま書いていたので、どんな文体が良いのかなと思いながら書いたり、たくさんの人に読んで欲しいと思って、Twitterで流してみたりと試行錯誤を繰り替えす日々でした。

 そんな試行錯誤をしている時から私は本当に「伝わる言葉を書いているかな」と不安に思うことがあります。私のブログは「私のエッジから観ている風景」としているようにあくまでも私という人間の観点を大事にしながら書いています。その中には私のエスニック・マイノリティーとしての点を強調して書くことがありますが、それはマイノリティーがどのような日常を送っているのかを発信していきたいと思っているからです。しかし、このような記述をしてしまうと、「マイノリティーとしての私」を強化するだけに留まってしまい、マイノリティーの日常が「向こうのこと」として消費されてしまうのではないかと考えています。本来、マイノリティー問題は日本だけではなく様々な共同体にある問題です。その普遍的な問題が「向こうの問題」として考えられがちで、いつも「う~ん」となってしまいます。そんな「向こうの問題」として考えることに抗うことがこのブログを続けている意味だと思っています。

 本当に考えるべき面がたくさんあります。マイノリティーの共同体に居る私をただ強化するだけではなくて、様々な私が私の中に居るということ、マイノリティーの問題を「向こう」の問題にしていかないこと、そして、「無かったこと」にしないこと。そんなことを考えながら今年もブログを書きつづけたいと思っております。

今年もどうぞ皆様宜しくお願い致します。

 

 

「野蛮」の中で「野蛮」を見つける

 こんなニュースがあったことは知っているだろうか?12月24日の夜、新千歳空港で中国人観光客が大暴れした。北海道では近年まれに見る大雪が降ったせいで、12月22日から欠航が相次いでしまい、とうとう痺れを切らした観光客が大暴れしてしまったというニュースだ。ここまで大騒ぎになってしまったのは、23日に登場する予定だった観光客が大雪のせいで欠航になり、空港で一晩明かしたのにも関わらず、先に24日当日に出発する予定の客を優先して、搭乗案内したことに原因があったようだ。

 中国ではどうやらこういった遅延や欠航によるケースが多いらしい。こんな遅延や欠航に対してはかなり慣れっこな人々がこのように暴れ出すということはよっぽどのことがあったということだ。だからと言って、暴れ出すのは良くないし、何の解決にもならないけれども、「そんな気持ちにだってなるよな」と思ってしまう。

 今回、この事件を巡って様々なことを言う人たちが居た。そのどれもが「中国人が野蛮である」という言説だった。「こんなところで待つこともできない中国人は本当にマナーが無い。」「中国人には「公」という概念が無い。」なんていうことをいう始末である。 

 昔、ある有名なアメリカの文化人類学者がパプア・ニューギニアの首狩り族の調査をしに、首狩り族の村にやって来た。その学者が村に来た理由は学問ではなく、徴兵されることを怖れてのことだった。当時、アメリカはドイツや日本、イタリアと戦争を行っていて、若者を徴兵していた。どうしても戦争だけはしたくないということで、なんとかしてその村に研究調査ということでやって来たのだった。当初、その学者は首狩り族の勇敢な戦士たちにどうやら負い目を感じていて、村の中で何故来たのかを言うことはなかった。しかし、ある日、その村の一番勇敢な戦士に、村に来た本当の理由を告白した。告白した当初は「馬鹿にされるのではないか」と思ったそうだ。しかし、その勇敢な戦士が彼の告白を聞いて、こんなことを言い始めた。

「お前の国だと一般の人間に戦争をやらせるのか。なんて野蛮な国なんだ。」

 今でこそ徴兵制の国が減りつつあり、頷ける言葉なのだが、この当時は兵隊に行くことが当たり前で「近代的」とされていた時代だ。まして、今以上に「文明」と「野蛮」が強調され、首狩り族のような立場が未開人と考えられていた時代に、この言葉はその学者に衝撃を与えたそうだ。

 「文明」と「野蛮」。そんな二項対立で様々なものを見がちだ。しかし、様々な事情があったとは言え、空港で暴れてしまった中国人観光客を「こんなところで待つこともできない中国人は本当にマナーが無い。」もしくは「中国人には公共という概念が無い」と言ってしまう人々の野蛮さを観ることによって、極めて恣意的な線引きではないかということを私に気付かせてくれる。「野蛮」の中に生きている人々は外の世界の「野蛮」を見つけ、自分たちの「野蛮さ」を「文明的」であるとしたいだけなのかもしれない。

「正しい日本文化」というホログラム

   テレビを見ていると「正しい日本文化」を教える番組や「正しい日本文化」の素晴らしさについて特集している番組が多くなってきたような気がする。

   昔から「日本文化」についての番組はNHKを中心にやっていたけれども、今では民放が、それも割とゴールデンタイムに近い時間帯にやっている。

 最近、観た番組の中だと「正しい日本文化」を海外で教えるといった上から目線な番組を観た。

   そんな番組に複雑な気持ちを持ちながらも、ついつい観てしまう私が居る。

 それは私自身がテレビっ子であるということや、落語が好きだったり、歴史が好きだったり、様々な理由があるけれども、そんな番組を観る理由は「正しい日本文化」なんていうものが私の家では観られないからだ。

 私の家はプロテスタントのクリスチャンであるのと同時に「在日」の家だ。

 食事の前には神様に感謝のお祈りを捧げ、伯母さんのことを「고모(コモ)」と呼び、母が作った豚汁を食べて生活している。もしかしたら、我が家に来た人は一体、ここがどこなのか分からないと思うようになるだろう。

   そんな日本式と韓国式と在日式とプロテスタントとしての信仰が混ざっている空間で生活しているとどうしても分からなくなってしまうことがある。それは冠婚葬祭についてだ。

 冠婚については最近は緩くなってきた。昔のように家と家の結婚式なんていうことが少なくなりつつあるとご祝儀の値段とか服装とかはこだわらなくて済む。

 しかし、葬儀の方はそうとはいかない。葬儀の方も密葬で済ませるスタイルや「○○さんを偲ぶ会」のようなもので代替することが多くなったとは言っても、葬儀のほとんどのスタイルを仏式で行っている。クリスチャンの私はどうしようか迷ってしまう時だ。そういったときは決まってカサブランカの花を霊前に捧げ、お祈りをするというスタイルを取っている。

いくら仏式の葬儀だからと言っても、自分の信仰を崩すわけにはいかないからだ。

 こんな姿を見ている人の中には「正しい礼儀作法じゃない」とか「正しい日本文化」と思うだろう。しかし、そうやって文化は作られていくものだと私は考えている。私の家の文化には日本と韓国と在日の文化がそれぞれ入り混じっている。そんな文化がぶつかり合う中で様々な新しい文化が生まれてくるのだ。

 洋食を思い浮かべて欲しい。洋食は本場のヨーロッパで食べられているものとはとても程遠いし、日本料理とされている。でも、そんな洋食を愛する人はとても多い。焼肉だってそうだ。父方の親戚は焼肉屋を営んでいたし、私自身韓国に留学したこともあるのだが、本場の焼肉と日本の焼肉には大きな差がある。韓国に行けば「日本式焼肉」なんていう表記すらある。そんなごった煮の文化だけれども生活にはちゃんと根付いているのだ。
 文化とはそんなぶつかり合いの中で生まれてくる。ごった煮になって、生活に根付くからこそ、文化を愛せる。そんな文化の事実の前では「正しい日本文化」なんてとても小さなものとしか思えなくなるのだ。「正しい日本文化」なんていうホログラムに頼って生活するよりも、生活の中にある私の小さな文化を大切にしていきたい。

「分かりやすさ」が売られる世界

   こんなニュースを観た。韓国の次期大統領候補にまつわる報道で候補とされる政治家たちの外交姿勢が「親日」と「反日」の二分で分類されていた。

   私は大学時代、日韓関係のゼミに居たことや韓国に留学したこともあって「親日」や「反日」という括りでは説明ができない韓国の複雑な外交事情を知っていた。

   これだけではない。韓国の大統領弾劾に関する一連の報道でも現地で叫ばれている大韓民国憲法の意味や憲政の意味を一切、解説せず、ただ、崔順実と大統領のスキャンダラスな出来事や韓国の中にある格差、また、韓国のお国柄としての「デモ」という視点でしか報道されていなかった。一体、何が起きているのだろう。

 画面の向こうの「解説者」たちはキャッチーな言葉を使いたがる。例えば「反日」や「親日」なんていう言葉なんか典型的な例だ。

   確かにそんな見方をすればかなり分かりやすい。「反日」や「親日」なんていうレッテルを貼ってしまえば一体、誰が敵で誰が味方なのかが極めて分かりやすく、そして、複雑で知れば知るほど分からない世界であるにも関わらず、あたかも世界の全てを知ったような気になれる。人は不思議なもので、そんな魅力的な刀にとても弱い。

   こんなやり方はどっかで見たことがあると思ったら、アメリカのあの人が出て来た。

そう、次期大統領のトランプだ。

トランプも分かりやすさを武器に様々なものを敵にしていった。標的となった人や標的となる人々はなんとかしてこんな分かりやすい刀を振ります大きな赤ん坊を倒そうとしたが結局、彼が次期大統領に選ばれてしまった。

彼は「分かりやすさ」を武器にして、見事にのし上がったのだ。

   分かりやすいニュース解説番組がテレビでやっているのも、トランプが人気になるのも複雑な世界の不安に対して「分かりやすさ」を買うことで解消しようとしている現れなのだろう。そんな中で忘れられがちなのは「分かりやすさ」の中に一体何があるのかということだ。

   「分かりやすさ」とは何らか編集されている状態を指す。ある複雑な事象があって、それをどこの誰だか分からないような人間の主観で「分かりやすく」解説される。情報の編集に携わる人とはそんな役割だ。

   ある一面から見れば編集ほど暴力的な行為は無い。自分の主観によって、複雑でその前で立ち止まってしまうような言葉の無い世界を加工し、分かりやすさは切って捨てられ。無理に言葉にしてしまうのだから。

だからこそ、編集側には情報の前で立ち止まる理性が求められる。しかし、今用いられている儲かるか儲からないかという理性なのだ。

   トランプを見ていれば一目瞭然だ。彼は複雑さなんか気にしてはいない。彼が気にしていたのは大統領選挙というゲームの中で如何にしてポイントを稼ぐというかということだった。もしかしたら、そんなポイント稼ぎは韓国の次期大統領候補達を「反日」か「親日」かというベクトルでしか見れない日本のマスコミにも言えるかもしれない。トランプはこんな所にも居たのだ。

   「有識者の言うことを信じるな!」「マスコミの言うことを信じるな!」なんて言うつもりはさらさら無い。だけど「分かりやすさ」を提示されて、のこのこ消費してしまうのはそんな奴らの手の上に乗ってしまっている。こんな中で大事なのは「分かりやすさ」を売りにした情報の前で立ち止まることだ。

   社会人になると立ち止まることを許されなくなってくる。でも、立ち止まらなければ見えないものがたくさんある。立ち止まりがあるからこそ豊かな知性が生まれて来たと言って良い。哲学者達はとりあえず思索のために時間を使った。中には奥さんに水を掛けられた人間も居るが、その人たちの知性は明日を見出す言葉として、今に至るまで受け継がれている。

   哲学者達の言葉は分かりにくい。でも、分かりにくいんじゃない。彼らは明晰に語っている。分かりにくいのは立ち止まるためにあるのかもしれない。

   時間に追われ、何かを消費する体制を突き崩していくためにはそんな立ち止まることが最も有効なことだ。そんな立ち止まりを楽しむ人に私はなりたい。

「戦後」を背負わせられた島

 沖縄でオスプレイの事故が起きた。メディアは「不時着」としていたけれど、私のような素人からこの事故を観ていると「墜落」としか思えない。どうやら「不時着」と「墜落」という言葉には機体をコントロールできていたか、できていなかったかという大きな差があるようだ。(これに近いようなことを原発について発言していた日本の政治家が居ましたね。)この事故については調査が進んで色々なことが検証されることを心から願っている。

 この事故が起きた後、名護市の稲嶺市長が現場に向かったとのことだった。事故が起きたのは名護市の沖合だったので現場対応をするために様々な視察が必要だと思ったのだろうか。この視察が良かったか悪かったのかはあえてここでは議論しない。問題だと私が思うのは視察をしに来た稲嶺市長を警察が沖縄防衛局の許可を取っていないとして、追い返してしまったことだと考えているからだ。自国での事故に対して、自国の地方自治体の首長が現場を視察できないとは一体どういうことなのだろう。例えば、これが稲嶺市長が何らかの権限を行使し、市民の生命と財産を侵害しようとしてる中で警察が止めに入るのであればまだ理解はできる。しかし、今回の稲嶺市長の行動は名護市民の生命と財産を奪いかねない事故に対応しようとしての行動だった。一体、この国の暴力装置である警察はどこを向いているのか。今回の事故は沖縄の人々のみならず「内地」に居る私たちにも衝撃を与えた。特にSNSでの反応は凄まじく、この事故の後の米軍関係者の発言もあり、今回の米軍の行動に対して反発する人たちも数多く居た。

 沖縄の基地問題はどうしても画面の向こうのこととして伝えられてしまう。「沖縄の人たちは大変ね。」「沖縄には基地があって本当に苦労しているのね。」なんていう言葉が定型の文句だ。そんな画面の向こうで起きていることは日本で起きていることなのに日本の問題として考えられない。あくまでも沖縄の問題としてしか捉えられない。まるで本当に議論しなければいけないことから逃避しているかのようだ。だが、その一方で、私たちは沖縄に「癒し」を見出そうとしている。沖縄の物産展に行けば沖縄を癒しの島として宣伝しているし、テレビ番組では都会の疲れを癒すために沖縄を旅する企画が流されている。そのどれもが都会の疲れを癒してくれるエキゾチックな島としての沖縄だ。そんな沖縄の姿は喜んで観ようとするのに、基地問題になると誰もが分からないふりをする。沖縄は日本にとって様々な「矛盾」や「疲れ」を忘れさせてくれる都合の良い「島」なのだろうか。

 沖縄には基地に反対する人から賛成する人まで様々な人たちが居るが、基地を抱えながら生きていく日常を送っていることには変わりはない。その日常の中で言葉にならない感情を抱えながら生きている。そんな日常に目を向けず、「内地」の人々に癒しを与えるエキゾチックな島として観続けるならば沖縄はこれからどうなってしまうのだろう。沖縄は今でも「戦後」を背負わせられている。まるで下校途中にじゃんけんで負けて「仲間」のランドセルを背負わせられている子供のように。

見守ってくれた街の近くで

 誰にでも「ふるさと」と言えるものがあると思う。私みたいなディアスポラは必ず「ふるさとはどこなんだ」という不毛な論争をしてしまう。そんな争いにうんざりした私は「オクニは?」と質問されても「うーん、今住んでいるところですかね?」とやり過ごす。そんな私でも「ここはふるさとなんだ」と思える空間が1箇所だけ存在する。それは東上野のコリアンタウンだ。

 我が家では必ず夏と冬にコリアンタウンにある韓国食材店でチャンジャとゴマの葉の醤油漬けとにんにくの醤油漬けを買いに行く行事がある。この夏と冬の行事を私は毎年、楽しみにしていた。ニンニクの臭いがきついのでどうしても学校が無い夏休みと冬休みの時期にしか食べられないからだ。

   私が通う店にはたくましそうなお母さんが居て、そのお母さんが店を仕切っている。そんな空間を見る度に「帰って来たなぁ。」と思いながら、いつもの食品を買って行く。

 今でも大事な人への贈り物はこの店の美味しいチャンジャやゴマの葉の醤油漬けだ。高価な物よりも私が実際に食べて美味しいと思える食べ物を送りたい。それが最大のプレゼントだと勝手に考えている。

 この街に思い入れがあるのは私だけではない。私の父や母の初めてのおつかいはこの街にある韓国食材店で買い物することだったそうだし、親戚も店をやっていたそうだ。私だけではなく、私の父や母、その先の世代から続く大事な空間。そんな空間を私は「ふるさと」と呼んでいた。

 そんな「ふるさと」だと思っている空間の近くでレイシストによるデモが起きた。私は居ても居られず現場に向かった。「ふるさと」だと思っている空間がありもしない言葉で穢されることはなんとしても防ぎたいと思ったからだ。

 カウンターの現場は凄まじい。ありもしないことを垂れ流すレイシストに対して、色々な人たちがカウンターとして抗議をする。そんな光景は「ヘイトスピーチ」という言葉を知らない人から見たら「一体何をしているのか?」とか「喧嘩しているの?」程度にしか思われないかもしれない。実際に路上で何にも関係の無い通行人が「これじゃ、ただの叫び合いじゃん」と独りごちていた。

 私はそんな中では声を出さず、手持ちのiPhoneでひたすら写真を撮っていた。声を出すことよりも私の愛する街で起きていることを後世に伝えたいという気持ちからだった。

 デモは終着地点のある公園に着いた。カウンターの人々もその公園の周りに集まり、大きな声でヘイトスピーチに抗議していた。あるカウンターの人は興奮してしまったのだろうか、拡声器を持ちながら、レイシストに向かっていこうとした。

 その時、私はその場に居た市民を守るはずの警察官よりも先に制止した。

「これ以上やると刺激して、ここに住む同胞に何かあると困るからやめてくれ」

私はそんなことをカウンターの人に言っていたと思う。

   何か考えていたわけではない。もし、レイシストを刺激をしてしまえば、レイシストにより標的にされてしまうかもしれないと本能的に察知したのだろう。

   当事者になればなるほど差別的な言動の前で様々な感情を飲み込みながら生きている。それは事を荒立てればこちらに差別の刃が向いて来ると考え、とりあえず自分自身の身を守るための行為だ。そんな行為が明日を変えるわけでないことを分かっていながらも「無かったことにする」共犯になっている。

   もしかしたら、私が声を上げなかったのはあの時、レイシストに対して報復の恐怖を感じていたのかもしれない。分かりやすく言えば、いじめられているいじめられっ子が周りにいじめられていることを言えない感情とでも言えば良いだろうか。レイシストに向かって行くカウンターの彼を止めた私の中にはなんとも言えない感情があった。

 ヘイトスピーチのデモが終わった後、行きつけの韓国食材店に行った。街が荒らされていたら嫌だと思ったからだ。不安になりながらも店に向かったが、街と店の様子はいつもと変わらない。店を仕切っているお母さんは居なかったけれども、いつものあの「帰って来たなぁ」という感じがする空間だった。私はそんな様子を見て、安堵したが、いつこの街からたくさんの涙が出るのかと思うとまた複雑な気持ちになる。

 最近、結婚をした友人に会いに行くために結婚祝いとして、その店で柚子茶を買った。こんな寒い時期には身体も心も優しく温まるものが良い。

 柚子茶のような身体も心も温まるような何かは路上にこそ必要なのかもしれない。